イスラム庭園4:ザフラー宮殿(コルドバ)

オレンジ、ヤシ、糸杉…。ガランとした土地に、樹木がまばらに植えられている。ザフラー宮殿の庭園は、少し殺風景な印象だ。この遺跡は現在も発掘が続けられ、ところどころ工事中。庭園も完全なものとして復元されていないからだろうか?

いや、この寥々たる空間こそ、砂漠の民アラブ人の原点なのかもしれない。

オアシスに強い憧れを持っていたアラブ人は、植物に対して特別な思い入れがあったという。アラブ人にとって、植物は恩恵を与えてくれる貴重な宝。植物を操るのではなく、共存したいという強い願望いが、水と緑をふんだんに使うイスラム庭園を生み出したのだろう。自然への脅威から、柵で囲った庭園を造ったヨーロッパ人とは対照的だ。

植物へのこだわりは、アブド=アッラフマーン3世の居間の装飾にも表れている。白い大理石の壁に、花びらを模して嵌め込んだ赤い大理石。複雑に絡み合う唐草模様の浮彫は、あまりに優麗。我を忘れてうっとりしてしまう。

イベリア半島の後ウマイヤ朝は、10世紀のアブド=アッラフマーン3世時代に最盛期を迎えた。首都コルドバは人口50万を擁する大都市に発展し、アンダルシアはヨーロッパ人にとってあこがれの地となった。芸術や文学、科学に造詣が深かった王は、ビザンツやペルシャの文化を貪欲に吸収し、後ウマイヤ朝美術を確立していく。これは、東方イスラム美術に比べ、ヘレニズム文明の影響を大きく受けた様式になっている。また、豪奢な建造物を次々に建て、ビザンツ帝国に対抗した。コルドバの巨大なモスク・メスキータが特に有名だが、もうひとつの重要な建造物が、このマディーナ・アッザフラーである。

アブド=アッラフマーン3世お気に入りの「花の都」は、コルドバから西へ13キロメートルのところあり、宮殿の一部が再現されている。

約一万人の労働者や装飾家たちが建設にたずさわり、宮殿は40年の歳月をかけて完成した。ここには、王宮、家族や廷臣の邸宅、兵舎、さらに装飾品を製造する国王工場もあったそうだ。「400の部屋と4313本の柱。400キロのパンが毎日焼かれ、2万5千人以上の人が働き、1万人の女性が暮らしていた」というように、ギネスブックなみの数が、その豪華さを物語っている。

マディーナ・アッザフラーは、まさに後ウマイヤ朝の最高傑作だった。故郷を追われたアラブ人は、自分たちの誇りにかけても、この地に永遠の楽園を築きたかったのだろう。

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